80歳の母を近距離介護・サポート日記

川辺を歩く高齢者夫婦 老後・親のこと

認知症、骨粗鬆症、膝関節痛で要介護1の母親を近距離介護。互いの性格と生活ペースの違いなどから、サポートさえ難しく感じることもしばしば、つかず離れずの毎日。でも、最近になって若いころの母の苦労を知り、少しずつ母に寄り添う気持ちがうまれてきました。そんな母娘の関係を綴ります。

随時、新しい記録を追記。時系列で読む場合は、下から上への順にご覧ください。

Contents

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令和4年が始まりました。今年も元気に過ごせますように!

沢山いいものがあるからあんたも買い物に来ない?と急に誘われる

6:30、23:30の連日の電話の後、一日開けて今度は10時ころの電話。今日はスーパーでいいもの売っているからあんたも来ない?昨日も言ったけど、今から行こうと思おうと言っている。母はポイントがつくと言われると、それ目当てで沢山買い物をする。得だと言って、要らないものも買う。得だからたくさん買って、私に渡そうとする。勝手に買っわれても、こちらにあるものは要らない。一人分買えばいいのに、家族がいるような量を買って、多すぎるからと渡そうとする。「一人分を買って」と言っても、勿体ないから、とやめようとしない。余計なものを買って多すぎて痛む方がずっと勿体ない。

今から母の買い物に付き合うことを想像してみた。娘が習い事で駅まで送る。その後、帰ってくるまでに昼食を作るが、まだ何を作るかさえ決まっていない。母の買い物につきあうと、足も悪く行動も遅いので、時間がかかる。それだけならいい、おそらくそれだけで済めば、私も母の買い物につきあっただろう。しかし、買ったものを母の家に届けると、必ず、買ったものは半分持って帰ってと言う。それに加え、元々家に勝ってあったもの物まで、あれもこれも持って帰れ、と言う。必要ないものまで勝手に買って押し付ける。しかも断っても何度も勧める。いつものことだ。想像するだけでうんざりした。それから家に帰り、家族の食事を作ると遅くなるだろう。自分もイライラするし、家族もおなかをすかせる 。同居家族に迷惑をかけることは明白だ。

買い物はヘルパーさんと行くことを勧めていたが、前日ヘルパーさんに買い物行きましょうか?と言われ、本人が拒否している。その後ヘルパーに来てもらうことを断っていて、自分の都合で急に私を誘う。ここで行っては、買い物には都合よくいつもで娘を誘えばいいと思われてしまう。ますます介護サービスが不要と思い込み、私の負担が増す。

母のことは気になり何度も迷ったが、結局行くことはできなかった。同居家族のことだけを考え行動した。

翌日は余裕があったので、手続き書類など必要な用事をまとめて、母のところに行ってみた。案の定、セロリ、りんご、ホウレンソウ、きゅうり等々、持って帰るよう勧める。500gのヨーグルトは、2つ持っていけという。家にも消費しかけの500g一つある。二つもいるわけがない。

携帯電話が光ると長女からの電話だと思い時間関係なく電話がくる

デイサービスに行った後は数日は連絡しなくていい、と安心していると、翌日6時半に電話があった。深夜から電話が緑と赤に光るから、あんたが電話したんだね?と。私はもちろん電話していない。メールでも届いたのか?私は電話していないことを伝え、緊急ではないなら朝から電話しないで、というと「私はもっと早くから起きてるよ」と、人の都合は考えられなくなったようだ。

しかし、次の日は23:30に電話がきた。同じく電話が光っているので、電話したんじゃないか、と言われる。明日の仕事と弁当作りのため、早く寝なければと、食器洗いを終わらせようとしていたときで、前回と同じく、緊急以外で夜中の電話はしないよう伝え、電話を切る。

メールで光らない固定電話に代えることも検討したが、一長一短があるので、保留にしている。人の都合を考えず、非常識な時間に大した用もなく電話をされるのは困る。分からないことだらけで生活し、本当はヘルプがほしいから家族から電話があったと思いたくて脳がそのほうな話を作り上げるのではないか、とさえ思えてくる。それなのにヘルパーは拒否、楽しいと言うデイサービスさえ週一回しかいかないのが腹立たしい。

いろいろな話を組み合わせて素敵な話をつくりあげる

デイサービスを辞めると言い出し、近居介護する私のストレスが増す。二人しかいない子供にしか心を開かない母。せめてヘルパーを使ってもらわないと負担が大きすぎる。サポート付き高齢者住宅、ヘルパーなど打診。すると、以前とても嫌がっていたヘルパーとの面談を意外にも承諾した。

面談と契約の日、母の認識に大きな勘違いがあることに気付いた。”今日会うヘルパーが、今の家賃より安い素敵な高齢者住宅の見学に連れて行ってくれる” そう信じていた。だから、最近以前に増して力を入れて片付けをして不用品を捨てていたのだ。

ヘルパーは見学に連れて行ってくれるのではなく、家に手伝いに来てくれる。高齢者住宅の話はしたが、今の家賃よりずっと高い。

事実を伝えると「あんた、言ってること全然違うねー」と母。私が間違えたと言われたことに気分を害し言い返してしまう。「お母さんがなんでも忘れてしまうんでしょ」「おかしなことばかり言って・・・。それならここに来るべきじゃなかった。今日来てくれる人(ヘルパー)にもなんて言ったらいいのか…」食事中だったが、食べる手を止めて、真剣な面持ちで「困ったなー、それだと行くところがなくなる」とつぶやく。

いつも違うことを言う、と責められ、言いすぎてしまった。「それがおかしなことなら、これから先おかしなことだらけだ。お母さん何回言ってもすぐ忘れるし、間違って覚えてる。そんないい話あるはずない!」母は顔を斜めに向けていたが、鼻をすする音が聞こえた。泣いてしまったのだろうか…。また言い過ぎた。

一度、鋭い目でこちらを睨んだ。その目に気付かないふりをして私は話をつづけた。そのうち母は
「最近目が腫れてて、泣いているわけじゃないんだけど…泣く暇なんかないんだけど、泣いてるようにみえるでしょ」と言って、さっきとは逆にしっかりと顔をこちらに向けた。そのときは、もちなおし、ないている顔ではなかった。

あり得ない素敵な話を作り上げるのは、80を過ぎて銀行に再雇用されると信じていた父と同じだ。

気弱になった。以前なら怒っていた場面で泣いてしまう。

美味しそうでちょっと高めのフルーツを買っても、勿体ないのでずっと置いてある。一人で食べるのは贅沢だと思うらしく、必ずくれようとする。「自分で買ったものは自分で食べて」ともらわないでいると、数日後行ったときにまた同じものを出してきて勧める。

今の母は何でもすぐ忘れてしまうので、あげようと思っていたフルーツのことも忘れてしまう。「素晴らしくいい桃を買って、忘れてたんだけど、歩いてあんたのところまで持って行こうかな?途中まででも来てくれれば真ん中で会えるね」と何とか渡せる手段を模索して提案してくる。

娘の昼食も終わり、夕方になってやっと翌日の仕事の準備ができる、それが終わったら、今度は娘の夕食の準備、と思っていた矢先の母からの提案だった。フルーツなどわざわざくれなくていいから、一人で食べてしまえばいいのに。そう思い、冷たい言葉を返してしまう。

以前の母なら怒って電話をきってしまっていたが、今は怒りもしないし、それがとても素晴らしい桃であることを繰り返し訴え、更に何度も、歩いて届けに行こうか?と提案する。

変形型膝関節症と腰椎すべり症で足に痛みがあるのでその心配があるし、一度も歩いてきたことはないから道に迷うかもしれない。会えば話が終わらないし、家まで送る必要もでてくる。想像するだけで疲れ「来なくていい」と断ると、ついに母は諦めたのか電話を切ったが、こちらも母の思いを考えると、もらいに行った方がいいのだろうな、という気持ちになる。

自分も50を過ぎているおに、いつまで母に束縛されているのだろうか?母の提案を断ると、落ち着かず悪い気になる。

結局、母の家まで行くことになった。

貰った桃は、買ってから3日以上経っているようで、上の部分が黒ずんでいた。洗うと皮が剥がれる部分さえある。それでもとても大きく、味も甘く美味しかった。散々すったもんだがあった挙句、最後に美味しかったことを伝えたときも、感謝を込めていうことはできなかった。

それなのに、母は電話を切るときにも、「ありがとね。わざわざ電話をしてくれて。ありがとー。どーも・・・」と何度も言う。

貴金属がなくなった!誰かが持って行った!?

「大変なことがあったんだよー」一大事かと思う口調で言われ聞いてみると、真珠のネックレスがなくなったと言う。ケースの中にネックレスがないとケースを見せてくれた。先週も貴金属類を入れた箱がなくなった、と言っていた。そのときは、タンスの中が暗くて良く見えず、奥に箱があるのを自分で発見し、解決。今回の真珠のネックレスは、以前私がもらった気がする。「これ前私がもらったんじゃない?うちにあると思うよ」そう言うと「あー良かった!」とすぐに安心してくれた。

それにしても、会うと毎回ものを取られた、という妄想。認知症の進行によるものだろうか?

FUKU助の電源が抜かれた!今朝の記憶も確かでないこと判明(FUKU助 その後3)

「FUKU助が停止しました」とメールが入った。何か起きたな?よくFUKU助がしゃべるのがうるさいと言ってので、腹が立って電源を抜いたか?

電話をすると、「FUKU助の電気はついていないが、電源は抜いていない」と言う。コンセントの場所を、「冷蔵庫の横の、来た人の顔が映る機械(インターフォン)の下のコンセントと言っても、「冷蔵庫ってなに?顔が映る機械って、そんなの知らないよ」と答える。人が言ったことを認識する力が弱いか、認識に時間がかかるのか。いずれにしても話が通じない。

FUKU助が動かないと、薬を飲めない…。

今は仕事をしていないので、いつでも見に行けてよかった…。現場に行ってみると、やはり、コンセントが抜けていた。付箋に「必ず差しておいてください」と書いて「抜けてたら差して」とお願いした。

毎朝、8:30に薬を出すのだが、停止したというメールは7時前。今日の朝の薬は飲めていないはずだ。しかし母は「今日はもう薬を受け取って飲んだよ」と何度も言い、そのうち「今日だと思うけど…」と自信なさげに変わった。

電源が抜かれて取り出せていない薬は、次に電源が入ったときに、出るように設計されているらしい。薬を出すための「押す」ボタンが表示されたので、母に押してもらい薬を出した。

FUKU助のおかけで、ほんの一時間前の薬を飲んだ記憶も定かではないことが明確になった。

諦めていた刺繍。やるかもしれない、と心境の変化?

数か月前「目が悪くなったので刺繍はもうやらない」と言っていた。実際、実家から引っ越してから一度もやっていない。立派な本と、刺繍糸が大事に保存されているのに気づき、フリマやオークションで売れないか調べてみた。同じ本が何点も出展されているようだ。

作った作品もいくつか見せてくれた。きれいにできている作品もあれば、製作途中のものもある。しかし、バックなどすぐ使える商品になっているものはなく、布に刺繍がされているだけだ。「これ、何にすればいいの?」と聞くと、布の端をきれいに縫えばテーブルクロスなどに使えると教えてくれた。

帰り際に、刺繍の本と糸を「売るから持って帰っていい?」と聞くと、気が進まない様子。「私がやるかもしれないし…」と自信なさそうに、しかし、これまでとは違うことを言いだした。作った作品を見て話すうち、またやりたくなったのだろうか?

これを機会に、趣味だった刺繍に取り組めればいいのに…。ゆったりしたときを過ごすことがない母に、自分の時間を楽しんでほしい。

上り坂で転んで顔を打ち骨折!?

買い物の帰りに上り坂を登り切ったころで、転倒し顔を打ってしまった。以前も坂道で顔を打ったことがあった。怪我をしたときは、いつも連絡がない。病院へ行かなくても大丈夫、と自分で判断し怪我をしたことさえ言わないのだ。

前回は1年以上前のことだったが、人に驚かれるほど血が出たらしい。念のためMRIで、脳に問題がないことは確認した。今回血は出なかったと言うが、あざが大きい。母と会った日は、丁度病院へ行く日だった。怪我について先生に伝えると、念のためCTを撮ってくれた。本人が大丈夫というので、大ごとであるはずがないと安心していたのだが、頬骨が骨折していた。先生によると、骨の角が丸くなっているので、骨折は今回のものではないかもしれないとのこと。

片膝が弱く、家の中でもよく転ぶ。手は怪我をしないので、手で体を守る反射神経がないのだろうか?どうやら、いつも同じ場所を打つらしい。家の中で転んで、顔をけがしていることもあった。

今のところ外見上の変化はないようだが、これ以上同じところをぶつけると、口が開きにくいなどの問題が生じるかもしれない。買い物では、せめてカートを持っていくよう提案した。しかし、大けがをしてもまだ「このカート、あんまり入らないから役に立たない」と言っている。

ポイントカード紛失、買い物に行けない!

母の家から一番近い店はドラッグストア。その店のポイントカードがなくなった。ポイントがつかないので紛失してから買い物に行っていないらしい。ポイントカードがなくても買い物はできると伝えたが、それは気が進まないようだ。

普段は財布に入れているが、確かにない。使用後かばんにそのまま入れた可能性もあるが、どのかばんにも入っていない。諦めて帰ろうとしたとき、服のポケットに直接入れたかも、と思い、コートのポケットを探ってみる。「このへんにない?」「そこもさっき見たけどなかったよ」返事を聞きながら、手の感触でカードのようなものを確認した。

どうやら探していたポイントカードのようだ。「これじゃない?」「どこにあった?!よかった!」

既に探してなかった、という場所から出てきた。どこを探したかの記憶も定かではなくなっている。この日会ったときも「もう私、頭がおかしいんだよ」と言っていた。これまでも何回か言っていたセリフだが、それを聞く度に不安になる。

日頃から、たんぱく質不足が心配で、作ったおかずを冷凍にして、母の家の冷凍庫に入れておく。いつもは「自分で作るので足りている」と、暫く手をつけないこともあるのだが、今日は「いろいろ食べたよ」と教えてくれた。今度一緒に食べようと大事にしていた生協の冷凍シュウマイも少し食べたようで、残りがテーブルに放置されている。

しっかり食べてくれるのは良いことだが、食べ物を欲するときは体から危険信号が出ている時ではないかと、さらに心配になる。

荷物に埋もれたアンテナ線、不用品整理の決意(FUKU助 その後2)

FUKU助移動のため、母の家に訪問。テレビが映らないというので、アンテナ線を確認した。繋がっているが2か所が強くねじれていたので、まずねじれを直した。どうやら「アナログ」ボタンが押されていたらしく、リモコンの「地上」ボタンを押すとテレビは映った。

しかし、アンテナ線が短く、家の床を這わせているため、その上に物が乗せられている。今は物があふれているからだが、逆に物がなければ、足に引っかかって危ない。もともとアンテナ線は短かく、そのうち長いものに置き換えようと、仮に繋げていたことを思い出した。本来は危なくないように、上に固定すべきだ。

アンテナ線の接続のしかたを反省しつつ、FUKU助を、和室から主な生活の場である寝室へ移動することを母に打診したところ、意外にも承諾してくれた。置き場所を作っていると、手伝わなければと思ったのか、FUKU助の電源を外して「これ、重くないよ…。もう少し小さければいいのにね」と持ち上げ移動し始めた。……。どうやらFUKU助のこと、嫌いじゃないようだ。

ところが、新しい置き場所の近くにコンセントが無かった。まずは延長コードが必要だ。そして、FUKU助に接続する延長コードとテレビのアンテナ線、それぞれ、床ではなく上を通すようにしなければならない。延長コードと、それを壁に固定する道具を買って出直すことにした。

アンテナ線をどう通すか考え、あらためて部屋を眺めた。不用品も整理しなければ…。業者の選定と依頼もネットが使える自分がすべきだ。万が一母が倒れでもしたら、子供である自分たちが全てやらなければならないのだから同じことだ。本格的に不用品整理をする時期だと気付いた。

手の甲が真っ赤だった、とデイサービスから連絡(FUKU助 その後1)

水曜日はデイサービスなので、母は元気だろうかという心配はない。ところが夕方デイサービスから着信があった。両手の甲が赤かったので、皮膚科に行くことを勧めたと教えてくれた。本人は大丈夫と言っていたが、少々興奮していたとのこと。

何かおかしな薬でも塗ったかと母に電話をすると、水仕事などして少し赤かっただけと言うので安心した。そのあと母が、昨日置いていったFUKU助の話を始めた。「朝『血圧を計ってください』と言ったが時間がなかったから放っておいた」と言うので「夜9時40分頃、見に行くと薬を出すから、その頃FUKU助を見に行って」と言ってみた。

また拒否されると思い諦め口調で言ったのだが、昨日より拒否反応は弱く「私でわかるかな?」と言うので「わからなかったら電話して」と答えた。電話を切った後、母が言った言葉を思い返してみた。「あんな寒い部屋に夜わざわざ行きたくないよ」

確かに…。薬を飲む時間に用事のない和室を開けてみる、ということ自体難しい。置き場所を変更しよう…。本人がいつもいる場所に置かなければ意味がない。また翌日母のところに行くことにした。

薬の飲み間違いがなくなりますよう。ロボットをお試し利用(FUKU助 設置)

薬の飲み忘れは絶対に認めないが、最近の物忘れなどの症状から、正しく飲めていないことは容易に想像がつく。実際、余った薬包がたくさん残っていて、正しく服用してもらう手段はないかと思案していた。

薬の飲み忘れ防止ロボットのようなものを実現できないものかと、その事業化方面から調べると、まさに求めていたロボットが見つかった。

FUKU助という名のそのロボットは、設定した時間に薬を出してくれるらしい。音声と光で教えてくれて、見た目もかわいい。早速インターネットで資料請求、2週間無料のおためし利用を申し込んだ。

指定日時に届いたFUKU助を初期設定して、母宅に持って行った。しかし「薬は自分でちゃんと飲んでる!」が口癖の母に、最初から服薬支援のロボットとは伝えられない。「申し込んだら当選した」と言って持ち込んだ。

案の定、拒否反応が強い「私はこんなものと話なんてしないよ。こんなバカバカしいもの使わないからね」いつも通り可愛げが無い。

FUKU助

予想通りの反応だ。そうは言っても、それなりの大きさのロボット、精密機器なので運ぶのに気を使った。難しくはないのだが、使い方マニュアルをざっと見るのにも手間がかかった。全く試す気なしの母とまともに向き合うと喧嘩になってしまいそうなので、あまり返答せず黙々と薬をセットした。

フク助には顔のパーツのシールがついている。好みの顔を自分で作れば愛着がわくかと淡い期待を持ち、眉、頬紅、口のシールを貼ってもらった。「子供じゃないんだからこんなのやっても楽しくないよ」と文句を言いながら「右の頬はもっと上が良かったかな?」とも言ったりする。一応かわいいFUKU助ができあがった。

薬を出してくれることを伝えても「自分で飲めてるから使わない」と言う。そのまま返品となることも覚悟し、こちらも強く言わず帰って来た。FUKU助は水平な場所に置かなければならず、母の家で置ける場所は和室くらいだ。薬を飲む頃、和室に行ってもらうよう電話で伝えよう。

気に入ってくれたら儲けもの、正しく薬を飲んでほしい、というせめてもの願い。

初詣で気になる弱気な発言

年始のどんと焼きで、お団子を配るというので「お得」が大好きな母を誘った。その帰り、近くの神社で少し遅い初詣。すると「来年、私は生きているかわからないけど」と、珍しく弱気な発言。

さらに、お節料理をうまく作れなかった話をして「もう私、何にもできないんだよ」。

発言から、生活が大変になってきていることを想像した。

買い物した記憶が曖昧、電話で叫ぶ

母と郵便局の用事を済ませた後、その隣のスーパーに行った。母とは別会計だが、念のため会計に間違いがないかは確認していた。母を家に送り、数時間たってから、母から電話があった。

「1万円出したのに、お釣りがおかしかった。買ったものが書いてある紙(レシート)も変なんだよ。キャベツと玉ねぎは1個しか買ってないのに、2ってなってる。とにかく、全部めちゃくちゃなの。明日買ったもの持ってバスで店に行ってくる」と、興奮していて、こちらが話しても、強い主張をし続ける。

母が出したのは、5千円札だった。まず、それを話し、お釣りも間違いがなかったことを伝える。しかし、怒っていて聞く耳を持たず「だからー!すべてがメチャクチャなのよ!!」と強い口調で主張、話にならない。

そこで私が電話の操作を間違え、一度切れてしまった。その間に子供の用事をすませ、暫くして電話をかけると、出したお金が5千円だったことは「それなら自分が間違えてたんだね」と認めていた。

1個しか買っていないものが2になっているのは、レシートを見ないとわからないので「今度見せて」と伝えた。今回は、たまたま電話が切れたことで、少し考える時間ができた。しかし認知症が進むと、他人の話を全く受け入れなくなるのではないか?今回のように記憶に間違いがあり、かつ人を信じなくなったら、どうやって生活すればいいのだろうか?

興奮し自分の言い分を主張し続けるのは、脳卒中で倒れる直前の父のようで、不安になった。

数日後、レシートを見せてもらうと、2個になっていたのは、キャベツではなく、その下のポンカンだった。ポンカンは2つ買ったのでレシートは正しい。それを説明しても理解しようとせず「だって、私は昨日ちゃんと確認したんだから!」と強い拒否反応。

頑として、私は間違っていない、というスタンス。本人の気持ちを推し量れば、できることが減り確かなものがない中、これは間違いないとよく確認したことを否定されればショックだろう。

店に直接苦情を言わないよう、レシートに間違いはないことを伝えたかったのだが、失敗だったのだろうか?どう対応すれば、母を傷つけず、間違いに気付かせることができたのか…?

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令和3年の近居介護・サポートの反省。無事に年を越せました!

年末の準備。お節料理の用意は早かった!

お正月を4日後に控え、母の様子を見に行った。既に、お節料理の、なますと黒豆は作ってしまった、というので、驚いた。なかなかしっかりしている。プレッシャーになるといけないので、何を作るかは聞かない。昨年は、お雑煮が作れなかった。今年は作れるかな?

冬は台所のフローリングに毎年、絨毯を敷く。昨年までは、「家具を動かさないとできないから大変」と言いながら、私が行くときには、自分で家具を動かし敷いてしまっていた。今年は、絨毯を出しながらも「無理かな?去年はどう敷いたのかわからなくなった」と消極的。「手伝うよ」と言ったが、「敷くと暖かいけど、スリッパを履けばいいか?」と、やめてしまった。去年までは「わざわざ敷かなくてもいいのに」と思っていたが、自信がなくなると自分から計画を中止することがわかり、少しほっとした。

昆布巻きは完成していなかったので、年末から母の家に滞在した兄が巻くのを手伝ったそうだ。魚の用意がなかったようで、ごぼう巻きになっていた。お雑煮は、煮物のようだったらしい。田作りは年が明けてから、少量作ったのをくれた。魚は少し焦げていた。

きんとん、今年は作れなかった。昨年は、砂糖と間違えて塩を入れていまい、そのままでは食べれなかったので、一度冷凍にしていた。サツマイモが手に入ると、その塩きんとんに追加し、しょっぱすぎないように作り直していた。「食べれるようになった」と言ってくれたが、やはり少ししょっぱかったし、冷凍・追加を繰り返しているので、古い味もした。それでも手作りの物は、家族にあげたいのだ。

料理の手つきはさすが!下準備を手早くこなす。

子供の頃、クリスマスには、鶏の骨付き肉、パリパリに揚げた春雨、じゃがいもが入ったコーンスープ をよく作ってくれた。コーンスープといっても母は覚えていないので、次のクリスマスには、母のレシピで、コーンスープと鶏料理を作ろうと決めていた。

ケーキは買おうか、作ろうか悩んだ挙句、次のクリスマスまで元気でいてくれるわからないと思い、やはり作ることにした。

母は、人に食事作ってもらうのは申し訳ないと思ってしまうので、そう思わないよう、料理を手伝ってもらった。

いざやってもらうと、さすがにベテランの手つき。玉ねぎのみじん切りは忘れていなかった。小さい玉ねぎも何のその、切れない包丁も使いこなし、頼んだことは易々とやり終えてしまった。

無垢な子供のように見えた母

団地内で採れたて野菜を販売する日、荷物が重いので一緒に行くと約束をしていたが、急用で行くのが遅くなった。現地で母を発見、声をかけたが母は気付かない。

その場にいた他の客に話しかけた後、野菜を眺めるでもなく、静かに『来るって言ってたんだけどな。どうしたのかなー』と言っている。

こんなつぶやき方する人だっけ…?

普段は怒ったり文句を言ったり、にぎやかな印象が強いのだが、この日、来ないことを怒りもせず、小さな声で独り言を言う姿は、無垢な小さな子のようで、やるせなくなった。

この数日、会うことも電話することもできなかったので、人と話す時間が少なく症状が悪化したのだろうか?何度も同じことを聞いたり、思い込みが激しかったりで大変…と思う反面、やはり放っておけないと思った。

母が得意だったパウンドケーキを一緒に作った。「ありがとう」と言えた。

母がよく作ってくれたパウンドケーキを作ってみることにした。

「パウンドケーキって何?」母は、得意なお菓子の名前を覚えていない。それでも、粉をふるったり、材料を混ぜたりの作業を手伝ってもらうと、慣れた手つきで上手にこなす。バターを少し減らして、その分、ココナッツオイルを入れた。認知症対策だ。

その場で焼き立てを食べ、持ち帰り用に母の分を切り分けた。「たいへんだったねー」と母がねぎらってくれた。

思えば私たち家族は、母に感謝やお礼の気持ちをあまり伝えていなかった。そのことに気付いて、機会があったら「ありがとう」を伝えようと思っていた。

この日は「手伝ってくれて助かったよ。ありがとう」と言えた。母は電話越しに笑ってくれた。

「あんたが布団を持ってきた」誤りを受け流せず、嫌な思いをさせてしまう

母はお得だと思うと、物を買いすぎてしまう。誰かが使うと思って買うのだが、誰も使わず、家には同じものが沢山ある。布団もその一つだ。自分の家に沢山の布団があるのに気づき「あんたが持って来たんだねー」と言い始めた。私は余計な布団など持っていない。母が一人暮らしになるときに、実家にあったものを全部持って来たのだ。

「それは、実家にあったもので、私が持って来たんじゃない。うちには、あげるほど布団はない」母の主張を否定する言葉を畳み掛けてしまった。

事実と違うことを言われれると何故腹が立つのだろう?母も主張が強い人なので、その性格がうつったと考えれば気が軽くなるが、そんな言い訳を考えてしまうことも、自分の未熟さにも、ほとほと嫌気がさす。

(2021年12月)

「あんな美味しいの、私も作りたいな」

以前母がよく作ってくれたグラタン。母が来たとき昼食に出してみた。

「これ美味しいね~、すごくおいしいよ」気持ちを込めて何度も言ってくれる。

一週間くらい経って会ったとき、またその話をした「この前出してくれたあれ、美味しかったね。あんな美味しいの、私も作りたいな・・・」「子供の頃、何度もお母さんが作ってくれたグラタンだよ」「そうなの?」

美味しい、と喜んでくれたのは嬉しかったが、何度も作ってくれた料理を忘れてしまっていることが悲しかった。

「私も作りたいな」呟くような言葉が心に残った。純粋な子供のようでかわいらしくも感じる。母のことを、そんな風に思うのは初めてだった(2021年11月)

トイレまで我慢することができず、紙パンツを使用、メーカーに苦情

尿もれの相談をされることがあった。深刻な様子はなかったので、あまり気にしていなかったのだが、母が旅行に行くことになり、再度尿漏れの心配を口にした。旅行で失敗しないか心配なようだ。そういえば、最近、急にトイレに急ぐことがあった。

それでも、昼間は失敗したことはないらしい。だが、夜については「昨日、トイレにたどり着く前に、出てしまった」と正直に話す。そして「デイサービスに来ている他の人たちは、皆大きい白いのを履いてるよ」と言った。大人用の紙おむつだろうか?一先ず旅行のため、ドラッグストアで紙パンツを買った。

早速、旅行に行く前に、夜お試し使用をしてみる。一日目、気付くほどの尿漏れはなかったようだ。電話をすると「全然汚れてなくてきれいだよ。何回か使えるんでしょ?」母は節約好きなので、次の夜にも使おうとしている。しかし「洗ってもいいんだよね」と言われて焦った。「だめだよ、洗ったら水を吸収して使えなくなるよ」そう言うと、何とか洗うことは思いとどまってくれた。

ところが、まだ紙パンツ騒ぎは続く。次の日の夜は、尿を吸収したらしい。今度は「あれ、だめだよ。膨らんじゃって、どうすればいいの?あんなの使えない。買った店に文句言ってくる!」と言い出した。・・・それは、尿を吸収したから膨らんだんだよね。再利用しようとするのが間違いだ。「そうなったら捨てて。再利用なんかできないよ。使い捨てだから」母の発言に驚いて強く言ってしまうと、拒否反応が強くなる。落ち着け落ち着け、少し静かに言おう…。「紙パンツって、そういうものだよ。使えなくなったら捨てて」電話の向こうで騒いでいたが、そのうちやっと理解してもらえた。

お試しで買った紙パンツが使えたので、旅行用に買い足すことにした。しかし、ここで一つ失敗した。最初はお試しの、2枚入りだった。大量に買うときは同じ商品を買うべきだったが、母曰く「少しサイズが大きかったみたい」
最初に買ったのはMサイズで、その商品にSサイズがなかったのだ。「それなら、別のがいい?」と、今回はSサイズを探してみた。

あった!Sサイズの商品は前回とは別のものだったが、一度紙パンツに慣れれば同じように使えるだろうと思った。母も異論はなかったので、Sサイズを買うことにした。「こんなの持ってて誰かに見られたら恥ずかしい」というので、「そうかぁ、言われてみればそうだな」と思い、母とは少し離れて、母の家まで運んだ。今回は何十枚も入ったパックだ。これで旅行前の買い物は終わった、と安心した。

数日後電話をしてみた。すると「あれ、大きすぎてダメだった」と言い、どう対処したかを説明してくれた。いつも通り主語や目的語がないので、内容がすぐにつかめないが、苦情を言って、返品の了解をもらったらしい。店ではなく、メーカーに電話をして、商品の返品と返金を承諾させたようだ。

やむを得ず使っているが、紙パンツを使うのは、母には屈辱に違いない。だから少しでも気に入らないと、苦情を言う。メーカーや店には迷惑な高齢者だが、言いたくなる気持ち、少しはわかる。(2021年10月)

2つの医院を転院。高齢者に丁寧に対応する医師を見つけるのは難しい。

今日は、新しい歯科と整形外科に行くことになった。以前行っていた歯医者では、納得いく説明が得られなかったためだ。今日の歯科は、余計なことは言わず、手際よく見てくれた。

その後、母を自宅まで送るときになって「そういえば足が気になるんだよね」と言い出した。そのままの意味にとると、大したことはないようだが、遠慮がちにでも何度か言うとき、実は相当困っているのだ。端的に伝えるのが得意ではないので、症状を聞き出すのも難しい。とにかく、膝が痛いときがあり、動かすと膝の裏にも違和感があるようだ。

これまで行っていた整形外科は、詳しい話を聞きたくても、丁寧に答えてくれなかった。笑顔で「そんなに悪い検査結果じゃない、電気治療していくか?」などと話を早く終わらせる。患者が多いせいかもしれないが、説明が不十分でストレスを感じる。折角行くなら、聞きたことに答えてくれる医師がいい。

そこで、以前から調べていた整形外科に出向いてみた。診察の結果、膝に水が溜まっていることが分かった。水を抜いて、ヒアルロン酸を注射してくれた。レントゲンを撮り、その結果を詳しく説明してくれた。母の足がどういう状態か、よくわかった。母もレントゲン写真を使った医師の説明を、注意深く聞いていた。

処置は大体同じだが、前の医師は説明が足りなかった。母が不調を訴えたときも、いつもと同じ返事で詳しい説明がなかった。今後の治療方針についての話にも不信感を持った。手のX線写真を撮った結果、骨密度は下がっていたにもかかわらず「良くなっている、次の診察は半年後でいい」と言われたのだ。

私達には、説明してくれる医師がいい。医師との人間関係においても、相性が大事だと実感した。

(2021/9/13)

浅漬けが美味しかった!自家製だと思ったら市販品を使っていた!

「これ、朝作ったんだよ」と見せてくれた浅漬け。コーヒーを沸かすガラスの器にきれいにできていたので、袋に入れて少し持ち帰った。食べてみると、とても美味しい。リンゴまで入っている!

母は以前、手作りの酢を作り瓶に保存していたので、それを使っているのかと思っていたが「この前の、美味しかったね。どうやって作ったの?」と聞いてみると、「もう、ないんだけど」といいながら、空の瓶を見せてくれた。どうやら生協で購入した、漬け込み用の酢のようだった。手作りを好む母が、こんな市販の品も買うんだ!と意外だった。美味しいもののためには、新しいものにも挑戦する母を見直した。

手作りが一番と言い既製品を嫌っていた母が、新しいものを取り入れ、美味しいものを発見している。市販品でこんな美味しい浅漬けが作れるなんて。いい商品を教えてもらった。年季の入った主婦の知恵には、まだまだ学ぶことが沢山あるようだ。

(2021/9/10)

本格的な身辺整理?

母が生協の宅配をやめた。

父のことを思い出した。父は加入していた生命保険を、亡くなる1年半ほど前に解約していた。

今、母も契約を片付け始めた。家の中も本格的に整理を始めた。食器棚の中身を全部出し、中をきれいに拭いて、見栄えの良い食器をきれいに並べようとしている。

普段はともかく、以前は、来客があると、見えるところはきれいにしていた。元々良いものを揃えていたので、本来あるべき姿で置こうとしているのだろうか。自分がどんな人間であったか、伝えようとしているようにも思えた。これも父を思い起こさせた。

父は配偶者を心配する姿を最後に見せてくれた。今回、母はその物を活かして素敵に見えるよう工夫する若いころのままの姿を見せてくれた。
(2021/8/21)

立ったまま意識を失う

スーパーでさつまいもが売られているのを見た。この時期から出だすのかと思っていたら、母もさつまいもを買ったと言った。以前手作りのお菓子をあげて喜ばれた記憶があり、さつまいもが手に入る時期になると、スイートポテトを作りたいと言って何度も沢山買う。しかし、以前のように簡単に作ることができないので、年に1回作る程度だ。スイートポテトのために何度も買ったさつまいものほとんどは、スイートポテトになれず、蒸したり煮物に入れたりして食べられる。しかも、長く保存しすぎて、一部が痛むこともある。

今回も一人ではスイートポテトは作れない。そう思って「家にさつま芋だけ持ってくれば、一緒に作るよ」と言ってみた。しかし「あんたも忙しいんだから、型に入れるまで私がやるから、焼くところだけそっちでやって」と言う。母の家にはオーブンはないからだ。「それならそれでいいか」と、電話を切った。

暫くするとまた電話があった。「今作り方見たんだけど、昔の本だから、さっぱりわからないんだよ。作り方が2つあるんだけど、どっちも分からない。あんたのところに作り方ある?」分量を見ても分からないと言っている。多分どのレシピを見ても一緒だ。やはり、最初から一緒に作ることにした。

母はお菓子を作りに来ても、関係のない話を次々にして、手が動かない。言わないとやるべき作業を忘れてしまうので、さつま芋を切ってもらった。すると「暑いねー、上着を脱ごう」と言った。立った状態で、まな板の上にあるさつま芋と包丁に手を置いていたが、そのまま眠るように目を閉じてしまった。上体は最初から少し曲がりぎみだが、目を閉じると同時に、体もゆっくり前に曲がった。

少し離れた場所でその様子を見ていた私は「お母さん大丈夫?」と声をかけた。しかし、応えるどころか、そのまま寝てしまいそうだ。何かおかしい。倒れたら大変だ。包丁で怪我をするかもしれない。大げさすぎない程度に急いで母のところに行った。いつ倒れても支えられるように後ろから体全体をそっとサポートした。軽く触れると、自力で立たなくても大丈夫と認識したように、徐々に私の腕に身を任せた。まずい、ゆっくり寝かそう。

体が30度くらいになったところでもう一度呼びかけた。「お母さん、大丈夫?」少し間があってから、弱い声で「うーん」と言った。呼びかけに答えられた。そのまま横にした。床が湿りそうなくらい、体が熱気を帯びて汗ばんでいることに気付いた。

娘を呼んだ。「救急車を呼んで!」横にすると、目を開き話し始めた。「大丈夫だよ。そんなの呼ばなくていい」暫くすると、自分で立ち上がって歩いた。そしてまた、さっきのように立ったまま寝るような状態になった。やっぱりだめだ。躊躇していた娘にもう一度救急車を呼ぶよう言った。

「救急です・・・」と言って住所を伝えている。学校で習ったのか随分慣れている。

母を、さっきとは別の場所で、もう一度横にした。しかし、また起き上がって、救急車は不要だと繰り返した。そう言われても、何かあったらどうするんだ。

困って兄にメールと電話をした。1階では母が、救急車を呼んだことをまだ怒っている。救急車が来たとき、当の本人は元気で、救急の電話をしたことを怒っている、というおかしな光景になった。

(2021/8/16)

何十年も使用の洗濯機、脱水槽の内蓋見たことない、洗濯槽から水が出ない! 

コロナで夫が在宅勤務になった。それから母は遠慮して私の家に来ない。「片付けが大変だから行かない」「オリンピックが面白いからTVを見ていたい」というのが口実。遠慮するとき、母はきまって嘘をつく。

デイサービスは週1回のみ。人と話す機会が減ると認知症の悪化が心配だ。家でつくったおかずと店で買った美味しいパンを持って、母に会いに行った。

すると早速
「来てくれてよかった。これ今日使おうとしたら・・・」
「良かったって言われても直せないかもしれないけど」
「これがついてて開かないんだよ。こんなの今まで見たことない。あんた、これ、つけた?」

母の家の洗濯機は2槽式だ。脱水槽の内蓋に見覚えがないと言い出した。私は勿論触っていない。
「前からついていたんじゃない?こうすれば開くから」
「いやー、見たことないよ。それと、水が洗濯機のほうに入らないんだよ」
水は、手動のレバーで洗濯槽または脱水槽に切り替えるようになっている。
「ここを動かせば、洗濯槽に水が出るよ」
「あー、よかった。こんなことしたことないよ」

いや、今まで何十年も使ってたんだから、何度も切り替えてたでしょ。洗濯する母の姿をじっくり眺めることはなかったけど、だいぶ前に動かしてたの見たことあるぞ。

今まで当たり前に使っていた洗濯機の使い方まで忘れてしまった。

(2021/8/10)

自分が買ったものか分からない。冷凍庫って何?


パンと人参、自分で買った覚えがないと言って、「あんたがくれたの?」と聞かれた。後で調べると、1週間前に生協の宅配で本人が買ったものだった。

同じく宅配で買ったアイスが「柔らかくなってしまった」と言っている。「冷凍庫に入れて」と言っても、「冷凍庫って何?どこにあるのか分からない。お父さん(夫)も私も、冷凍庫なんて使ったことないよ」ほんの1週間前まで、使っていた冷凍庫。急速に忘れてしまったのか?さらにハンドソープの詰め替え用の袋を出してきて「買った覚えがないけど、あんたが買ったの?」と聞かれた。

その割には、気持ちは明るいように見えた。翌日の昼食に誘ったが、オリンピックを見たいからと断られた。卓球がおもしろい、とかどの国が強いとか話し、本当に楽しみにしているようだ。楽しめているなら結構なことだが、記憶の不安を消すためのカラ元気かもしれない。

薬を飲み忘れて認知症上が悪化したのだろうか?薬の飲み忘れがないか確認すると、最近忙しいから飲んでいないとの答えが返ってきた。夏の暑さのせいもあるかもしれない。

後日、母の家で冷凍庫を見ると、ほんとうに中の物が凍っておらず、解けて柔らかくなってしまっていた。なるほど。冷凍庫がその機能を果たさなくなったから、冷凍庫は元々ないものだと思っているのか。

故障したか、ドアが開いていて、温度が下がり溶けたかどちらかだ。「急冷凍」ボタンを押して、「扉が閉まっているのを確認して、ドアの開閉は最小限に」と伝えた。翌日、冷凍庫の中のものは元通り凍っていた。冷蔵庫が壊れたわけではなく、扉が開いていたのに気付かなかったのだろう。

ドアを閉めておく注意が払えなくなってしまったようだ。

電気製品の取り扱いは得意ではない母だが、このトラブルのとき「冷蔵庫の取り扱い説明書を探して読んだが分からなかった」と言った。自分で原因を探ろうとしているところは見直した。

(2021/8/6)

食べ物を家族に残す癖があり、いつまでも食べず古くなる。

自分の手料理を、家族(今は別居の子供や孫)に食べさせたいのだろう。作ると大量にくれる。

母が60代の頃は、段ボールいっぱいに、何種類もの沢山のおかず、数種類の手作りお菓子、果物や庭で育てた山ほどの野菜が送られてきた。東京の美術館で会う約束をしたときには、山登り用の大きなリュックに沢山のおかず、更に手提げ袋に沢山の食べ物を持って来た。夏の暑い日、背負っていると体温でさらに温められ、煮物は腐ってしまうと、怒ってしまったこともあった。持ってくるのも大変だったろうが、持って帰るのも大変だ。おかずは数種類、それぞれ大量なので、傷まないよう鍋で加熱しなおすか、小分けにして冷凍庫に入れなければならない。その頃の自分はまだ若かったが、仕事は忙しくそんな作業を丁寧にしている余裕はなかった。

今でも、一人分ではなく、大量の食材を買い込み、何か用事で行くと連絡すると、その当日におかずを作っている。以前はタッパや袋に入れてくれていたが、今はそこまで頭が働かず、大抵は私が袋に入れたりタッパに入れたりする。母に任せると、大胆な運び方になるときがある。一度は、皿にのせた魚にラップをかけ、スーパーの袋に入れて持ってきた。しかし、焼き魚のしっぽなど一部がラップから飛び出している。また別のときには、鍋ごと持って行こう、と言い出し、その鍋も大鍋でベタベタしているので、おいおい、( ̄▽ ̄;) …と言いたくなる。

先日、小旅行で兄がスイカを丸ごと買った。皆で分けて母の家にも置いておいた。「私は一人だからそんなにいらないよ」と言っていたが、ほんとうは果物が大好きなのだ。しかし、2週間近く経ってから行ってみると、まだ半分以上残っている。既に前のスイカはないと思い、新しいスイカを入手して母に持っていったときだった。

大好きなスイカが、こんなに残っているということは、また近所に住む娘(私)一家のほうが先になくなったら、あげようと、大事にとっていたに違いない。自分が好きなものでも、家族のために我慢する癖がついているのだ。
「古いスイカでおなか壊すといけない、捨てたほうがいいかも」とまで言ってみた。しかし母は『勿体ないお化け』なので、捨てることはできないとわかっていた。そして新しいスイカを渡した。「もう冷蔵庫に入らない?」と聞くと、「まだ入るよ」と自分で冷蔵庫に収めた。やっぱりスイカは大好物なのだ。

クーラーもつけず暑い部屋で毎日過ごす母。冷たいものをわざわざ買いに行くのが面倒なとき、冷蔵庫のスイカがどんなに美味しいか…。母にとってスイカは貴重。だからこそ家族にあげたいと考えてしまう。

私達も新しいスイカを入手したことがわかると、やっと自分も食べる気になったようだ。その後電話すると「新しいの貰ったから、どんどん食べて、前のは今日なくなったよ」と言った。好きなものを自由に食べてもらうのに、こんなに期間と画策が必要とは・・・。母は面倒な性格だ。母の性格を受け継いだ私も、負けず劣らず面倒だ。

家族での食事、これ要らない?と何度も聞く。旅行先の食事も家族に譲る。

以前から、家族で食卓を囲むと母は自分の分は後回し、家族に沢山盛って自分の分は少ないことが多い。更に「私のには沢山入っていたよ。こっちのほうが大きかった」などと、自分の分を人にあげたそうに言ったり、もっと食べるよう家族に勧めたりしていた。

母は健康に気をつけた生活をしており、胃腸はとても丈夫だ。3世代でバイキングに行っても、一番沢山食べられるのだが、旅行などで家族と食事を共にする際には「これ多いから食べて」と言って譲ろうとする。私は、母が沢山食べれるのを知っているので「要らない」と言って自分で食べるよう促す。美味しいものほど、自分は食べず、家族に食べてほしいと思うようだ。

電気製品が点滅していると、電源を切ってしまう

ちょっとした用事で、母の家に行ってインターフォンを鳴らしてみるが、鳴る反応なし。
合鍵を持ってきてよかった・・・。
鍵で開けて入ると、母はベランダで育てている野菜の世話をしているようだった。見ると、インターフォンの電源が切られている。
「切っちゃだめだよ」
「だって、ピコピコしててダメで、そこ(電源スイッチ)触ったら消えたから」

そういえば、以前は携帯電話の点滅が気になって、電源を切ったり充電器のコンセントを抜いたりしていた。固定電話がないので、携帯がないと連絡手段がなく困る。点滅していると電気代が高くなることを気にしていじくりまわし、消えるとほっとするようだ。

ちょっとした間違いを、注意してくれる介護ロボットがあればいいのに・・・。「僕の電源消さないで!話ができなくなっちゃうよ」とでも言って、ついでに他の電気製品の取り扱い方も教えてくれれば助かる。

一泊旅行、できないことが多くなった母を再認識

体を洗うのに時間がかかる。タオルで体をこするのも同じ場所を何度もやらなければ安心できないように見えた。「背中洗う?」ときいて、背中をタオルでこすった。そういえば、髪はデイサービスで洗ってくれると言っていた。自分では難しいと言うことか・・・。髪も私が洗おう。

父が亡くなる1年半前に旅行に行ったときのことを思い出した。一緒に旅行をすると、目が離せないので息抜きにはならず、介護になることが分かった。

母もその領域に入り始めている。心の準備がなかったため、手がかかることでイライラしてしまった。新しい場所なので全てが分からない前提でサポートしなければならなかった。

(2021/7/27)

人の批判にうんざりするが、その直後母のすごいところを見つけた

「毎日やることが多くて大変」と母がよく言うので、ヘルパーを勧めてもらえるよう、ケアマネージャに相談。実際に頼むと「人に散らかった部屋を見せられない」と、ヘルパーが来る前に、自分で掃除や片付けをしてしまう。

人に依頼することを好まないので、ヘルパーも何をやればいいか分からず困ったのだろう。仕事もせず帰ったと、母は批判ばかり。
「何もせずにしゃべるだけ喋って帰っていった」
「他に仕事がないからうちにくるんでしょ」
「ケアマネージャーはお金かからないと言っていた。1時間喋るだけで何もできていないのに料金がかかるの?」

人の悪口を言うときは遠慮がない。名前は呼び捨て、名前が出てこなければ「あの女」「あの男」になる。感情的に言う批判、子供心に聞くのが嫌だった。いまだにそれを聞くと心がワサワサする。
一人で恨み言を考えているうちに、怒りが増幅し、事実とは違う脚色までし始める。

そんな話を何度も聞かされ、ストレスが溜まり、言い合いになってしまう。

それでも、喧嘩別れはお互い気分が悪いので「ミシンで縫うものがあったら今なら見ていられるけど」と言ってみた。ミシンの使い方を忘れてしまって使えないと常々言われていたのだ。

すると、古い型紙を出してきて、縫ってはいるものの完成していないズボンのスタイルを変更したい、と言った。型紙はネンキが入っていた。自分の体に合わせて作った型紙で、何十年も繰り返し使っていたようだ。洋裁をしなくなってから何年も経つのに、ずっと大事にしてきたのか…。

ズボンの型紙

頭の働きが悪くなっても諦めずに、また新しくズボンを作ったり、自分の父親(祖父)が結婚式で着ていたズボンを自分の服に作り直したりしている。

すごいな・・・。

ゴミ同然の紙切れや賞味期限が切れた食べ物を捨てないことを、疎ましく感じていたが、今日は母の尊敬できるところを発見した。

(2021/6/29)

掃除機の吸い込み口接続できず。様子見しているうちに自分で修復。

コンロの電池がなくなり「電池の近く(”お知らせサイン”)がピコピコしてるよ」と母からの報告。
またですか・・・電池交換のために出動してみる。

すると、ついでっぽく「昨日気付いたんだけど、掃除機がおかしくなってるんだよ。どうしてなのか、いつの間にかこうなってて・・・」と別のトラブルの申し出。(どれどれ・・・)吸い込み口の部分が外れて、接続を試みてもくっつかない。以前はカチっと止まって接続できたはずだが…。
ぶつかったり、踏んづけたりして、部品の一部が折れたのか?とにかく今は接続不可。
新しい部品に交換しても、また壊れるのがオチだ。とりあえず、吸い込み口の先端部分を外せば、ゴミは吸える。
「こうやって使ってて」と言って、ひとまずその場をしのぐ。

後日電話があり「掃除機が直ったよ!ボタンを何回か押してみたら、動いたんだよ」と嬉しそう。
スイッチが入らないっていう壊れ方じゃなかったよね?「取れていた吸い込み口はくっついたの?」「えっ!?・・・(言いよどむ)とにかく、私が一生懸命やったら今は動くんだよ」
「…そうか、よかったね」

母は若いころから劣等感を抱いていたようで、卑下する割には、人に馬鹿にされたと怒ることも多かった。
そのためか、今は自分が役に立ったと思うと、それを繰り返し強調する。

ところで掃除機の吸い込み口はくっついたのだろうか?
そんなことをのんきに考えつつ、次に母宅へ行ったときに確認すると、本当に直っていた。吸い込み口がきちんと接続されている。

ヤバい(-_-;) 自分がもっとよく見ればよかったのだ。どこかを動かすと接続できるようになっていたのか・・・。母が訴え始めると、無茶な使い方したか、ぶつかったかして壊したんだろう、などと、先入観を持って適当な返事をしてしまっていたのだ。

マニュアルを探してきちんと調べない私が悪かった…。そして何とか自分で直した母はエラい!

でた~~~!!!

コロナワクチンで具合が悪くなっていないか電話してみた。「注射したところが痛かったけど、もうだいぶ良くなったよ」と言うので一安心。ところが「それより、夜中にムシがでたんだよ。あの、あれ、何ていうんだっけ・・・?(ムシの名称は出てこない)どうしようかと考えてたら具合が悪くなってきたよ。」「くもじゃないの?大きかった?」「黒くて大きいの。天井にいたからお湯かけたら逃げちゃった」
ゴキブリか・・・。お湯って・・・、天井に向かってどうやってかけた??

両親が夫婦2人暮らしのときには、実家でゴキブリをよく見かけたが、母が引っ越して一人暮らしを始めてから、3年以上見かけなかった。それなのに、生ごみの処理が以前よりできていないからか、外から入ったか、ついにまた発生してしまった!それにしても、以前は沢山のゴキブリたちと共存していたのに、久しぶりに見てやっと、ゴキブリがいる環境を厭うようになったのか・・・。その点では、普通の人の感覚に戻ったようだ。

しかし、ゴキブリキャップを置いたのに、住みついたのか?よく聞くと、2晩連続して天井近くにいるのを見たらしい。度々姿を見るなら、スプレーの方がいい。ゴキジェットプロを買って今度見たら噴射するように言った。幸い近所にドラッグストアがある。母はすぐ買いに行ったが、使い方が分からず、また電話がかかってきた。

母のところに行くと、子供の食事の準備がおろそかになる。できれば電話で使い方を伝えたい。ゴキジェットは家にもあったので、丁寧に使い方を教えた。しかし、できないと言う。母は「買った店か、お向いの人に聞いてくるよ」と言って電話を切った。私も、ネットで調べてみた。どうやら、使用前に折らなければならないところがあるらしい。家のゴキジェットをよく見ると、小さいシールが貼ってあり、そこに折り取るように書いてあるようだ。しかし、50過ぎの老眼なので拡大鏡がないと良く読めない。

とにかく使えなかった理由が判明したので、また母に電話した。母は向かいの家に、ゴキジェットの使い方を聞きに行き、ゴキブリキャップのようなものをもらったらしい。膝が痛くて二度も店まで行く元気はなかったのかもしれない。そう思うと、切なくなった。

使い方はわからなかった、と言うので、さっそくゴキジェットにシールが貼ってあることを伝えた。母は「折り取るってかいてあるよ」と自分で読み上げた。私も読めなかった小さい字、母は眼鏡をかければ読めるのか・・・。

パキッとプラスチックが折れる音がした。「外で噴射してみて」というとシューという音 … やっと使えた!

「今度出たら、ゴキブリに向かってかけてね!」「じゃあ、下にあるものは全部覆いをしておかないといけないね」食べ物に殺虫剤がかかることを気をかけている。そういうところは、以前のようにしっかりしている。しかし、出しっぱなしの食べ物を片付けたり、覆いをしたり、予想以上に大変な思いをしているに違いない。健常者なら簡単なことでも、母にとっては大仕事だ。

後日の報告。大きなゴキブリは姿を見せなくなったが、小さいのがいたので、スプレーをかけた、と、1cm弱の小さなゴキブリの死骸をとっておいて見せてくれた。捕獲したゴキブリを見せに来る猫のようだ、などと思いながら、最近よく見るという虫がゴキブリであることを確信した。小さいのがいるなら、卵がかえったのかもしれない。恐ろしい・・・。

(2021/6/15)

コロナワクチン接種

やっと予約が取れてワクチン接種に出かける日。朝、電話をすると「おにぎり作っていく?ご飯炊いたよ。」
遠足じゃないんだから…。会場は遠いが、お昼持参で行くほどではない。「あれ?昨日言ってなかった?逆だっけ?食べ物要らないっていったの?」約束の時間は大抵間違えていることが多く、口頭で伝えたことを正しく記憶することは期待できない。

近所のクリニックへ行くときでさえ、迎えに行くと、まだ服を着ていない、化粧をしていない、鍵がない、マスク忘れた、保険証とお薬手帳は入れたかな、とぎりぎりまでやっている。おにぎりなど作ったら、身支度が間に合わない。私も、子供を送り出した後で、手伝うために早く行くことはできない。昼食は帰ってから食べることにして、おにぎりはやめてもらった。

迎えに行くと、鍵を探し、そのあと、別の用事をすませるため「持っていて」と鍵を差し出したが、急いで興奮しているのか、その手が震えている。私が急かし焦らせてしまったのだろうか?

会場で同意書にサインをした。母は字が上手い人で、少なくとも1年前まではずっと変わらないきれいな字だった。しかし、今確認するように声に出しながら書く自分の名前は、以前の字とは随分違う。

大規模接種会場までは車で片道45分程度だった。遠くまでの送迎を悪いと思っているようで、「うちで昼ご飯を食べて帰って」と言う。母宅で昼食を食べると「それより、こっちのほうが大きいから、こっちを食べて。」「これももっと持っていって」「他にあげるものなかったかな」ときりがなく、また大騒ぎ。

(2021/6/14)

暖かくなると発生するショウジョウバエ

暖かい時期になると、母の家にショウジョウバエが発生する。料理好きの母は作るだけで力尽き生ごみを密閉しない。若いころからそうだった。今はベランダで野菜や果物を栽培し、生ごみを土の上に置いて肥料にしている。蝿が好む環境が用意されているようなものだ。

今年もそんな季節になったか、と昨年100円ショップで買った蝿取り紙を探し出した。

そういえば、さっき手作りの2種類のおかずをタッパいっぱいにくれたが、ショウジョウバエが沢山飛んでいる台所で作ったのか…。
母の家はトイレのドアがいつも開けられている。トイレにとまったハエが台所に来るかもしれない。おかずは孫にも食べてほしくて持ってくるのだが、子供にそのまま出すのは心配。圧力鍋で加熱・殺菌する。

「加熱できない生ものは要らないよ」夏は、いつも念を押す。

ほんとうは母の家をきれいにできればいいのだが、皿洗いやゴミ捨てを手伝おうとすると遠慮して拒否する。それでもやろうとすると、怒る。
…これは母の家を清潔にしてあげられない言い訳だろうか?

それでも、話ながら皿洗いや片付けをすると、そのまま話を続けるときもある。そんなときは、ササっできる分だけやっておく。

(2021/6/5)

振り込んだのに・・・。コンビニ店員が着服!?

突然警察から電話がかかってきた。「お母様がコンビニで振り込みをしたと言っているが、未払いになっているようです。お母さまの記憶が曖昧なようなので家族で内容を確認してください」
何故警察から?どうやら母が、コンビニで支払ったはずの振込ができていないことを言うと「それ以上言うなら警察に行ってくれ」と言われ、素直な母は交番に行ったようだ。

母は、プレゼント付きの化粧品お試しセットを注文したらしい。商品に同梱された振込用紙で商品代金を支払ったと言っているが、化粧品会社では入金が確認できず、督促状が何度も届いている。

支払ったときの状況
・店員は男性3人が先にいて、後から若い女性が出てきた。その女性に支払いをした。
・お金と振込用紙をコンビニの店員に渡したが、何もしないので「もういいんですか?」と聞くと「もういいですよ」と言われた。
・支払い処理はされたものと思い帰ってきた。
・振込証明や領収書は何も渡されなかった。
・日時ははっきり覚えていない。多分5/26 16:30頃

記憶違いの可能性もある。母の話は主語がなく分かり難いが、あらためてよく聞くと言っていることは正しいことも多かった。そのことを思い出し、事実確認をすることにした。コンビニに行くと店長が、母の記憶している日時にシフトに入っていた店員を調べてくれた。

コンビニ店長の話
・同じ時間に4人入ることはない。基本は2人。但し、交代の時間に2人以上になることもある。
・支払ったと思われる日時にいた店員は女性2人。1人は今入っている子。(というが、その子ではないと母は言う)
・日時がはっきりわかれば、防犯カメラを確認することもできる。客が自分で見たい場合は、手続きが必要。

その日はそれ以上の追求や調査依頼などはしなかった。

後日、支払った日と同じ曜日、時間にコンビニに行ってみたが、そこにいる女性も、お金を渡した店員とは違うという。また、そのとき男性店員は一人もいなかった。

再発防止のため、今後、振込は家族に頼むよう念を押した。本人も失敗した、と自覚があるらしくあっさり了承してくれた。

(2021/6/2)

服を作り直すためミシンを使う

節約好きの母。着る服がなくなると、古い服を作り直そうと考える。以前使っていたミシンの使い方が分からないと言われ、縫うところを見てサポートする。[①コンセントを入れる][②電源を入れる]と順番に手順を付箋に書いてミシンに貼ってあるが、それでも聞かないと分からない。手が覚えているのか、喋りながらできるときもあるが、その直後、もう一度やってみると、同じようにできず「これどうやって動かすの」「次どうするの?」と聞く。

「あれ?どうするの?わからないよ。困ったねー。…前は何でもできたのに。何もわからなくなっちゃった」何でも口に出す人なので、何に困っているのか逐一教えてくれる。認知症の頭がどんなものか、少しわかる気がする。手順は付箋にざっと書いてあるが、それでは足りず「書いておかなきゃ」と筆記用具を探す。

試し縫いをした後、「そしたらどうするの?」「さっきは自分でやっていたよ。押さえを上げて、布を外して糸を切るんだよね」「押さえはどこで上げるの?(上がらない方向に押して)上がらないよ。」「それもさっきはできていたよ。上がる方向に動かせば?」

これでは1人で縫うのは無理だ…。「縫うときは縫う布を用意してから呼んで」というしかなかった。

よく一人暮らしができていると感心する。暫くやっていないことは毎回、一から試すことになる。「毎日大変」と言っているのも当然だ。

いつものことだが、一人で生活をさせていることに罪悪感を感じる。

しかし、それとは裏腹に、自分にとっては今でも限界だ。子供のこと、母のこと、仕事のこと、家事…。後回しにできることは、全て放り出しているのに、強いストレスを感じる。イライラで身近な人を傷つけてしまう。そうならないよう、無理せず適度な距離をとっていたい。

(2021/5/25)

洗濯機の排水ホースが排水管に接続されていない

建物でまとめて行う、高圧洗浄。その業者から電話があった。洗濯機が2層式で、高圧洗浄のためには洗濯機を動かさなければできない、との連絡。更に「排水ホースが排水口から抜けていて、防水パンに排水が流れるようになっています」と教えてくれた。

それはマズイ、排水管にホースを接続しなければ、と思い、母に話した。母は高いクリーニング液を使い、洗濯にもこだわっている。曰く「いい洗剤だから、排水ホースから桶に流して、もう一回他の物を洗うのに使うんだ」

それなら、苦労してホースを排水管に接続しても、また抜き出して、桶に排水しようとするだろう。接続作業をする前に聞いて良かった。防水パンから排水が溢れることはないと言うので、このままにしておこう。

(2021/5/10)

粗品を貰って大喜び!読まない新聞契約しました。 

母が新聞の契約をした。2ヵ月の契約したら米(1kgを5袋)とティッシュ3箱、いろいろもらえたと喜んでいる。
「目が悪くて読めないのに!」と責めてしまったが、どうやら、営業マンがいい感じの人で話をして楽しかったらしい。
「大丈夫!こんなに得したんだから、私に任せておきな!」と戦利品に大喜び。

私は母をこんなにハッピーにしてあげられない。母がご機嫌だったなら無駄な出費でもないのか?
契約は2ヵ月だけだし、物を貰って本人が喜んでいるなら、いいか…。

念のため新聞の営業所に電話し、「新聞は読めないのでほんとうに2ヵ月だけにしてください」と念を押した。
解決と思いきや、母から続きの報告があった。

その後また営業マンが来て「また年末にお願いします」と、無理やりまた粗品を置いて行った。一度、車に戻り、わざわざ重い水を一箱運んできて、断っているのに置いて行ったらしい。営業は新規契約が成績になるから一度やめてもまた契約してもらえればいいのだ。
しかし、ここまでくると、悪質だ。電話をして断る、と母に言った。しかし、忙しさにかまけて、そのまま忘れていた。

すると、母が営業所に自分で電話した。「娘が警察に言うと言っている、もらったものは返す」と言ったらしい。しかし、いつ取りに来るかは明確ではない。あらためて営業マンに電話して引き取り日を調整した。


高齢で隙があるとみられると、どこまでも強引に契約させる。高齢になったら、家族がガードしないとダメだと痛感した。(2021/4/26)

家族に料理を作るのが生きがいの母

母は、家族に手作りの料理やお菓子を作るのが好きだった。どんどん新しいメニューに挑戦して、どれもだいだい美味しかった。最近は以前得意だった料理も忘れてしまい、分量を見ても、ほんとうにこれで良かったのかと思うことが多くなってきたようだ。それでもまだ新しいレシピをTVで見て、ネットで探して印刷してほしいと言う。

以前得意だったお菓子も一日で作れないため、途中まで作って冷蔵庫や冷凍庫保存をしているらしい。何日もかけて出来上がったお菓子は古くなった食材の味がする。スイートポテトは材料のさつま芋を長期に自宅保存し、既に部分的に悪くなってから作り始める。更に、途中の行程に冷凍や冷蔵保存が入るので、少々酸っぱみを感じる。少し痛んでも最終的に火を入れるので、お腹を壊すには至らないのだが、大量に作って沢山くれるのは困る。

以前はお饅頭やおはぎも作ってくれたが、最近は完成品に到達せず、沢山煉ったあんこをそのままくれることもある。

それでも、お菓子を作って近所の人にも喜んでもらった良い思い出があるらしく、お菓子を焼けるオーブンが欲しいと言う。だが今ある電子レンジも使い方が分からなくなるのだから、新しいオーブンは使えないだろう。

認知症専門の医師に相談すると「植物を育てるとか食事を作ることは、認知症予防にはいいことなので、経済的な問題がなければ、続けてもらったほうがいい」と言われた。

野菜やフルーツなど、買ったものをそのままくれることも増えてきた。世話になることもあるので何か返さないと悪いと思っているようだ。子供の頃育ててくれたのだから、今度は世話をされる番と思ってくれればいいのに。痛みのある足で買ってきたものを貰っては、こちらが気が引ける。

物がすぐなくなり、探せない

医療証、鍵、など大事なものが亡くなり、広い家ではないのに、なかなか出てこない。「大事なものだから先にしまって」というと「いつもここにあるからここにしまえばいいんだよ」と言いながらしまうが、その直後、「あれ、どこに置いた?」と分からなくなる。部屋は足の踏み場がないほど、紙きれやゴミ、服などが散乱しているので、本当にどこにあるか分からない。いつもしまってあった引き出しにもない。

夜になっても見つからず「そっちにない?」と電話がかかってくる。ないことを伝えると、その後、10分くらいしてまた電話がかかってくる。「いつもひっかけておくところがあって、そこにあった」狭い部屋の中でも見つけるのに半日かかっている。

出かける前日や朝に、必要な物や服を用意して置いておいても、それを出発前に探せない。これはほぼ毎回のこと。

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令和2年 認知症状進行

2020年に入り、認知症状の進行を感じさせる症状が見られるようになってきた。

形相が変わった。

会った時の表情が今までと違う。知人を見る人間の表情ではない。普通の人と比べると、怒りを感じる、動物的な恐ろしい表情。電話の声も同様、全く明るさがない声のことがあった。

普通の会話の中で怒ることも多くなった。聞かれて答えられないとイライラするようだ。

この頃、認知症専門の病院で、認知症状と脳血流の悪さを指摘され、脳血流を良くする薬をもらった。その後は、人間らしくない恐ろしい表情と暗い声はなくなった。

ケガが多くなった。

家の中でよろけて顔をぶつけることは多かったが、幸い外では転ばなかった。ところが、ついに坂道のアスファルトで転んでしまい、頭を打って目の上など数か所から出血。相当痛かったようだが、すぐに連絡してくることもなく自分で薬を塗ったようだ。その話を聞いた後も、最初のうちは「大丈夫」と言っていたが、1週間以上してからそのときの痛さなど詳しく話す。

不安な発言が多くなった。

今日行く病院が何か所か分からず「もう私、何にも分からないんだよ」、エレベータの場所が分からなくなり「全てがおかしい」と言う。具体的に何が、ではなく、漠然とした表現。以前はそのような言い方はしていなかったので心配になる。

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