これって医療費の無駄ではないですか?

病院廊下 高齢者

終末期医療や施設で気付いた医療費に関する疑問

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高齢者の医療費は、全部本人が望むものですか?

父が脳卒中で倒れ、意識がないと診断されて約半間を病院で過ごした。当時「長期療養型」と呼ばれていた病院。今は「医療療養型病床」と呼ばれているようだ。

ここには、同じように意識がない人が沢山いた。このような病棟は面会に来る人も少ない。ごく一部の患者の家族がたまに来る程度なので、廊下も病室もシーンとしている。

急性期病院では、鼻腔栄養という方法で鼻から栄養を摂ったが、移動後の療養型の病院では、管理のし易さからか、血管に栄養を流す中心静脈栄養が勧められ、多くの患者はそうやって命を繋いでいた。

看護師、准看護師、介護スタッフが面倒をみてくれる。勿論、思いやりのある優しい職員もいる。だが残念なことに、物を扱うように乱暴な職員もいた。

痰吸引が手荒いスタッフが夜勤の翌日には、複数の患者の痰吸引のボトルに血が混じっている。

一人の准看護師は、家族の前で患者を投げるように体位変換をした。意識がないと診断されていても、痛みや異常を感じることはできる。体を投げられた患者は、驚いて目を見開いた。

対応に疑問があっても、家族を預けている立場では、口を噤むのが賢明。クレームを入れることができない。24時間ずっと見守ることはできないので、不平不満を言ったことで、本人が不利益な扱いを受ける心配があるからだ。

父は以前「早く死んだ方がいい」と言ったことがあった。認知症により日常生活に問題が生じたからだろうが、その時よりはるかに重篤な状態に陥って生き続けるのは、本望ではないだろう。

それでも命を終わらせなかったのは、家族側に強い思いがあったためだった。

しかし自分だったらどうだろう?

そう考えると、このように生きたいとは思えない。

望まない状態のために医療費を使うのは、社会にとっても好ましいことではないだろう。

日本では、自分で栄養が取れず回復の見込みがなくても、本人や家族の希望がなければ、鼻や血管などから栄養を流してくれる。そうやって、毎日ベッドで時間が過ぎていくのも、慈愛のある看護や介護を受けられるなら幸せかもしれない。

しかし、それは当たり前のようで、実際はそうではないようだ。

この病院で、意識なく回復の見込みなしと見做され、ベッドに横たわっている人々は、この状態を望んでいるだろうか?

もし本人が望まない状態のために医療費が使われているなら、本人にとっても社会にとっても好ましくない。

最近では『人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)ノート』と呼ばれるものに、“経管栄養を希望するか”を問う項目がある。

しかし、その答えを書き残すときには、終末期を看る病院や施設の実態を知る必要がある。私はそれを目の当たりにして、健常者が当たり前に受けるサービスと、意思表示ができない人が受ける扱いは全く違うと感じた。テレビで見るドキュメンタリーとも違う。そこで紹介される優れた人物や模範となるケアに恵まれる幸運な人は、ごく僅かであることを私達は知らなければならない。

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施設が請求する医療費に、不要な物はありませんか?

高齢者サービスについて、親戚から聞いた話。

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以前親が入居していた施設で、有料のマッサージがあった。

案内のチラシには「医療保険が適用となります」と書かれている。有料であっても負担が少ないのは家族にとって魅力。

施設でやることもなくぼんやり過ごしていることが多いようなので、使うことにした。ところが本人は人の好みがあって、どうやらマッサージ施術者とは馬が合わなかった。何回か試みたところで「マッサージをさせてもらえないが、どうするか?」と聞かれ、ほどなくしてやめてしまった。

その後、このマッサージの書類をよく見たところ、本人の状態として、“筋麻痺”と書かれていた。実際には麻痺した箇所はなく、自分で手足を上げて運動もできていた。

担当医の同意欄にサインがあるが、麻痺を理由にマッサージ費用の一部に医療費を充てていたのか?

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マッサージは1ヶ月未満でやめ、その施設は既に退所。聞くこともできず、いまだに疑問だと言う。

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